キリンチャレンジカップ2019 U-22 vsコロンビア福祉について考える( ゜д゜)ノ

2019年12月09日

お久しぶりですw( ゜д゜)ノ N党についてw

おひさしぶりです、giveですwww


11月から転職しまして、慣れない環境で悪戦苦闘しておりました。
ぼちぼち、blog等再開していこうかと思っています。

というわけで、復帰一発目はN党について。


前の参議院選で、れいわ新撰組にダメ出ししたのですが、
今回はN党-NHKをぶっ潰す党について、ちょっとだけ。


N党、支持率が落ちていますね。


なんか、立花氏の番組を多少見て、
個人的には共感する部分も多かったし、
案外、まともな人なんだな。って印象だったのですが、
何かの番組内で、

「自分は票を取れるが、政治はわからないので、
自分が票をとって、その議席は政治がわかる人に任せればよい」

的な発言をみました。

その後、参議院を辞職し、代わりにN党の候補者が参議院議員になったのですが、


これ、、、れいわ新撰組にダメ出ししたのと全く同じ図式なんですね。


れいわ新撰組は、山本太郎氏を落選させてまで、障がい者の候補者を擁立したことが
決定的にダメだ!と書いたわけですが、
今回の一連の立花氏の行動も全く同じで、
自身が参議院を辞職して、代わりの候補を立てるのは、ダメなんですよね。。。


はっきり言うと、give的には理解できます。
票を取れる人が票をとって、政治と言う専門分野は専門の人に任せる。

有権者が選んだ人間(政治の素人)が、選んだ人間(政治の専門家)に
政治を任せるのであれば、民主主義の本質には逆らっていないわけです。
むしろ、有権者に選ばれた「政治の素人が安易に政治に関わる。」
というほうが問題が大きいわけで、この
れいわ新撰組やN党がとった戦略というのは、本来あるべき民主主義の姿。
に近いものであると、giveは考えています。

ですので、この戦略、考え方自体はgiveは否定しないのですが、
それは

有権者は許さない!

ということです。

現行の選挙においては、政治家を選挙で選ぶ!
有権者の意識とはそういうものになっています。

それを、自分が選んだ人間に政治を託す。的な考え方は、
現状の有権者は到底納得できない。

特にれいわ新撰組やN党に投票した有権者ってのは、
政治の専門家として、彼らに投票したわけではなく、

「代表のエネルギッシュな活動!」

に大いに期待し、投票したわけです。

彼なら、今の腐った政治を変えてくれると、投票したわけです。

で、あるなら、その代役は、代表に勝るとも劣らないエネルギッシュで
何かを破壊しつくさんとすような人物を充てなくてはなりません。

で、なければ有権者は、「裏切られた」と考えるでしょう。

裏切られたと思ってしまえば、過去の民主党と同じ、
有権者はもうそこには戻ってきません。
新しい政党を待つだけです。


立花氏の場合は、ユーチューバーでもあり、視聴率など取れるので
自分は「票が取れる」と勘違いしていたようなのですが、
視聴率が取れると、選挙で票が取れるというのは、実は全く別物です。

確かに、似た部分はあるのですが、
例えば、視聴率の取れる俳優や芸人に、
自分の息子や娘が通う学校の担任になってほしいか?というと
それはまた別の話です。

政治を任せるという事は、つまり
自分の息子や娘の学校の担任を任せるようなものであり、
そこに「代役」というのは、アリ・ナシで言えばアリだと思いますが、
どうしても、納得できない親御さんは少なからず生まれてしまいます。

参議院選のあとの立花氏は、票が取れたのではなく、
自分の子どもの教育を任せるに値する人物。と見られていたわけですが、
そこにあっさりと代役を立てたことで、
もはや、自分の子どもを任せる事ができる信頼ある人物。という評価は
下落してしまった。ということになります。

この辺りは、バックボーンであろうとし、前面に出るのを渋った橋下氏もそうでありますし、
N党から立候補するという噂の堀江氏も、
「自分は政治家じゃないから、立候補だけして他の人と変わりたい。
選挙に出る人と、政治を行う人間が同じである必要はない」
と言っていますので、れいわ新撰組や立花氏と同じ過ちを繰り返す可能性があります。

繰り返しますが、giveも、これらの方々と同じ意見を持っています。
民主主義の形として、知名度のある人間が選挙に出て、
その国民に新任された当選者が、自分の代役として政治家を国会に送り込む。

というのは、100%アリです。
選挙に出る人と、政治を行う人間が同じである必要はない。
その通りです。

ですが、現状の日本では、それは到底認められないのです。
現状の、、、と言いますが、これまた繰り返しになりますが、
政治と言うのは、未来に繋がる分野です。
つまり、自分の子どもや孫たちの生きていく世界を構築する仕事です。
で、あるならば、有権者は「自分の子どもの教育を任せられる担任」を選ぶようなもので、
ここを度外視し、
「選挙に出る人と、政治を行う人間が同じである必要はない。」
というのは、単純に「政治」だけを考えた話であり、
民主主義と投票という枠組みを考慮しない考え方になってしまいます。

もちろん、堀江さんなんかだったら
「政治が良ければいいんじゃないの?」
と一蹴しそうですし、giveも民主主義と投票っていうのは
あくまでも「手段」であって、「目的」ではないと思っています。

ですが、どうしても、その「手段」が目的よりも大きな意味を持つ事は
どんな分野でも言える事で、更に言えば
「どんなに腐った政治でも、民主主義であるほうがいい」
と語るヤン・ウェンリーのような人物もいることでしょう。

現状、政治は腐っているという認識で、
政治を正す!という方向にどうしても目が行ってしまうのですが、
「民主主義」と「投票」という2つの垣根を軽視してまでも
政治を正すべきであるという価値観にまでは、日本は未だ到達しておりません。

give自身も、今の民主主義と、今の投票制度は制度を改めるべきである
という認識でいますが、
だからといって、民主主義と国民投票を軽視してまで政治を正すべきだとは思っていません。

ですから、政治を正そうと思えば、まずは
今の民主主義と、今の投票制度は制度を改めるべきであって、
そのために何かをしていく、という手順を踏んでいかなければいけません。
例えば、投票制度を変革し、(知名度のある)Aさんと
(政治の専門家である)Bさん二人が立候補し、二人をセットとして、
どちらかが当選したら、(政治に詳しい)Bさんの当選とする。
というような制度でもいいでしょう。
これは個人ではやっていませんが、比例の投票で、
政党として行っている事ですので、まるっきり見当違いな話ではありません。
選挙のときにそう公約しておけば、何の問題もないわけです。

めんどくさいですが、こういうきちんとした手順を踏むのが
民主主義です。

そこを軽視して、国民を置いてきぼりに進んでいったのが、
橋下氏、山本太郎氏、立花氏、そして、堀江氏という面々になります。

まぁ、N党の場合は、未だ堀江氏という隠し玉がありますので、
今後の展開次第では、再び表舞台に出てくる可能性もあるわけですが、、、、


さて、、、どうなりますやら。。。。

次の衆議院選挙が楽しみですねwww

( ゜д゜)ノ しーゆー

give0616 at 01:53│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by おさら   2019年12月09日 02:59
ほりえもんはでないなぁ。そもそも経済と金儲けに興味あって政治はそのおまけだから。それよりも新事業とか自分の事業に打ち込みたいんじゃないの?あとは批評していれば良いやって感じ。

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